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映 画

「ONODA 一万夜を越えて」のとっておき情報
(2021年10月8日18:000)
映画評論家・荒木久文氏が、「ONODA 一万夜を越えて」のとっておき情報を紹介した。
トークの内容はFM Fuji「Bumpy」(月曜午後3時、10月4日放送)の映画コーナー「アラキンのムービーキャッチャー NEO」でパーソナリティ・鈴木ダイを相手に話したものです。

鈴木 荒木さん‼ よろしくお願いいたします。
荒木 はい、おねがいします。
ところで だいちゃんはいち早く「007/ノー・タイム・トゥ・ダイ」を見に行ったんですって?
鈴木 そうなんですよ。 後ほど詳しくお話しようかなと思っていますが、いやーこの「ノー・タイム・トゥ・ダイ」、ダニエル・グレイク 最後の作品ということで…。感想としては まずは、長い!! 2時間44分ということで、なんでこんなに長いのかと考えたのですが、もしかしたら、最初はもう少し短めに作っておいたのが、公開の延期に延期を重ねてきたせいで、監督が考える時間ができちゃって、あれも入れたいこれも入れたいで付け足して長くなっちゃたのかな?と思いました。
荒木 なるほど…それで一言で言って感想はどうだったんですか?
鈴木 イヤー、大満足ですよ。
荒木 ダイ満足ですか?!
鈴木 今までの作品に比べて最後ということで、すごくエモーショナルな内容になっていたと思います。 最後のエンディングのシーンでは思わず涙しているファンもいましたが、ネタバレになるのであまり言えないのですが…。

荒木 なるほど このあと4時から楽しみにしています。
はい、話は全く変わりますが、わたし、最近腰痛で、腰を下ろすときなど「よっこいしょーいちさん」なんかと声が出ることが多いんですが、「よっこいしょーいちさん」の元ネタの横井庄一さんのこと知っています?
鈴木 もちろん、もちろん知ってます?
荒木 では、今日ご紹介する小野田寛郎さんのことは?
鈴木 もちろん、知ってますよ。
荒木 知らない人というか、ピンとこない人がこの頃多いんですよ。
鈴木 最近はね。そう思いますよ。
荒木 横井庄一さんは 太平洋戦争が終わってるのを知らないで28年もグアム島のジャングルで一人暮らしていた残留日本兵で、1972年に帰国。「恥ずかしながら帰って参りました。」というコメントがその年の流行語になりました。
そして、今日ご紹介する、小野田さん、小野田さんは2年後の1974年、もう一人の残留日本兵小野田寛郎(おのだ ひろお)旧陸軍少尉が帰還しました。
フィリピン・ルバング島に30年もの間 潜伏して孤独な日々を戦い続け51歳になっていました。
当時 だいちゃんは小学生低学年?
鈴木 そうですね。6歳か、そこらで。そのあともずーと、報道されていましたからよく覚えていますよ。
荒木 わたしは、もう成人していて、大学生だったです。その日、友達の石原君のうちで徹夜で麻雀してて朝のニュースを見たのをはっきり覚えています。
この時は日本中大騒ぎでしたよ。
今日、ご紹介するのは、その小野田寛郎さんの30年間 日数にすると一万日を越す究極の生活を描いた映画「ONODA 一万夜を越えて」(一万日の夜という意味)という映画が来るんです。10月8日の公開です。
実はこれ、日本の映画ではなくて、フランス人の監督が日本人の俳優を起用して作り上げた作品なんですよ。
鈴木 荒木さんが「来る」って言うんで、え?と思いました。
荒木 先に 簡単に映画内容というか、小野田さんのこと、皆さんご存じでしょうが、若い人知らない人もいますからストーリーがてら説明しますね。
小野田寛郎さんは和歌山県出身で 上海の貿易会社などで働いた後、兵隊になったのですが、英語や中国語が得意だったためか、スパイ養成学校として知られている、陸軍中野学校で、諜報戦や秘密戦や潜伏しての戦い特殊訓練を徹底的に受けていました。
当時の兵隊は天皇のために、日本のために戦って見事に死ね、と教えられていたのですが、この中野学校では反対に「お前たちに、死ぬ権利はない、何が起きても必ず生き延びて、戦い 最後に勝利するため、死んでは絶対にいけない」と教えられてきたのですね。
そして戦争の末期 フィリピン・ルバング島に到着した情報将校としての小野田寛郎は、アメリカ軍が圧倒的に攻勢のなか、援軍が来るまでゲリラ戦を指揮するようにと命ぜられるのですが、島のジャングルの中では、食料もままならず、仲間たちは飢えや病気で次々と倒れていきます。それでも、小野田少尉は生きるために、あらゆる手段で飢えと戦い、必ず援軍が来ると信じて仲間をはげまし続ける…。
そして30年。小野田さんのもとに日本から鈴木紀夫という青年があらわれる…。
鈴木 なるほどねー。
荒木 さっき言いましたように、これは外国映画なんですね?
監督はフランス人の新人監督の、アルチュール・アラリさんという若い人。
過去に1,2作しか作っていない人です。
彼はもともとは冒険映画を撮りたいと思っていて、小説を読みながらテーマを探していたころお父さんと話していたら、「戦後も約30年間戦争を続けていた日本の兵士が帰ってきたことがあった」という話を聞かされ、一気に心が動かされました。そして調べると
脚色がいらないほどの壮絶な事実がそこにあったのです…と話しています。
鈴木 当時 我々もびっくりしましたものね。
荒木 この作品は今年のカンヌ映画祭ある視点部門の開幕上映作品に選ばれて上映されました。本国では、“フランス映画の常識を覆した”“驚くべき映画”などの評判になっているそうです。
主要な俳優は、オール日本人ですが、見ていただくとわかるのですが、明らかに日本人の監督が作っている作品とは異質だなと感じます。
鈴木 わかるんですか?
荒木 わかります。じゃ、それは具体的には?と言われると難しいのですが、ほんとはそれを解説するのが仕事と言えば仕事なのですが、手触りと言ったらいいのか、肌触りというか 多分 日本のキャストをよく知らないということもあって、俳優自身の持つ資質や個性に任せることより演出を徹底的に行った…そのあたりなのかなと感じます。
鈴木 かっちり作っているということですね。
荒木 これは俳優さんにインタビューしてみないとわからないですけどね。
その俳優さんたちですが、小野田寛郎役には若い時を遠藤雄弥さん。中年期というか
発見時の小野田さんを津田寛治さんが演じています。
他にも兵隊さん役でたくさんの人が出て来てはいるのですが、有名な人はいないので、
多分名前を聞いても皆さん、津田寛治さん以外はお顔が浮かばないでしょね。
ただ津田さんの小野田寛郎は恐ろしいほどそっくりです、よく似てます。
あの当時 テレビに映っていた小野田さんをAIかなんかでよみがえらせたんだと思うぐらい似ていますよ。
鈴木 そうですね。目元の雰囲気とかちょっとありますよね。
荒木 鋭い、吊り目でね。
最後探し出して、小野田さんを島から連れ出した人…鈴木紀夫さんっていましたよね。
当時一躍有名になった…その鈴木紀夫さんは仲野太賀君が演じています。
だから有名な俳優さんをそうたくさん使っているわけじゃないんですね。
鈴木 逆に先入観なくていいですよね。
荒木 そうですね。リアリティあってね。
映画は約3時間 ありますが、こちらはね、長さをすこしも感じさせません。
小野田さんが 何を信じ、どう生き抜いたのか よーくわかるように描いています。
まあ、正直な話、30年の間 ルバング島に潜伏していた小野田さんは、フィリピンの地元民を襲ったりして、実際に人々に危害を加えたことがありました。一説によると何十人もの人の命を奪っていることも正直に描いてあります。
鈴木 あるでしょうね。
荒木 だから 当時の小野田さんに対する、フィリピンの国と人々の複雑な気持ちも表現してあります。
後半は戦争が終わっていると気づきながら、自分が作り上げた陰謀説を信じながら戦い続ける・・日本の亡命政権が満州に存在するなんていうのを思いついて、それを信じて、いや、信じていないけど、信じようとする弱い心なども見えて、実に興味深いです。
僕自身の感想を言わせていただくと、やはりフランス人監督のせいなのか、個人の心持ち というか心理をしっかり見つめてはいます。しかしただ、戦前の軍事教育の恐ろしさというか、骨の髄まで染み透る、その人間性のコントロールへの恐怖みたいなものへの観点はちょっと希薄なのかなという気はしますね。この辺りは日本人独特の感覚なのでしょうか?よくわかりませんが。
なぜ このような映画を外国に作られてしまうのか、日本人が作る日本映画が見たいよという思いも沸くことも事実です。
鈴木 日本人が作るべき…という意見もあるでしょうね。
荒木 そうですね。映画「ONODA 一万夜を越えて」10月8日の公開です。
鈴木 荒木さん ありがとうございました。
■荒木久文(あらき・ひさふみ)1952年長野県出身。早稲田大学卒業後、ラジオ関東(現 RFラジオ日本)入社。在職中は編成・制作局を中心に営業局・コンテンツ部などで勤務。元ラジオ日本編成制作局次長。プロデューサー・ディレクターとして、アイドル、J-POP、演歌などの音楽番組を制作。2012年、同社退職後、ラジオ各局で、映画をテーマとした番組に出演。評論家・映画コメンテイターとして新聞・WEBなどの映画紹介・映画評などを担当。報知映画賞選考委員、日本映画ペンクラブ所属。
■鈴木ダイ(すずき・だい)1966年9月1日生まれ。千葉県出身。日本大学芸術学部演劇学科卒。1991年、ボストン大学留学。1993年 パイオニアLDC株式会社(現:ジェネオン・ユニバーサル)入社 し洋楽宣伝プロモーターとして勤務 。1997年 パーソナリティの登竜門であるJ-WAVE主催のオーディション合格 。
現在は、ラジオパーソナリティとして活躍するほか、ラジオ・テレビスポット、CMのナレーション、トークショー司会やMCなど、幅広く活躍。 古今東西ジャンルにこだわらないポピュラー・ミュージックへの傾倒ぶり&造詣の深さ、硬軟交ぜた独特なトーク、そしてその魅力的な声には定評がある。