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ヘンリー王子、ダイアナ元妃の死後「大酒を飲み、ハードドラッグを使用した」 米TV「60ミニッツ」で告白
(2023年1月10日21:20)

回顧録「スペア(原題:Spare)」で兄ウィリアム王子との確執など英王室の内情を暴露して波紋を広げているヘンリー王子(38)が、回顧録のプロモーションで相次いで英米のテレビに出演して本の内容などについて語った。そうしたなか米CBSの番組では、母ダイアナ元妃の死後数十年にわたり、「大酒を飲むようになりハードドラッグを次々と試した」ことを明かした。
米紙ニューヨーク・ポスト(電子版)によると、8日夜(現地時間)放送された米CBSのドキュメンタリー番組「60ミニッツ」でアンダーソン・クーパー(55)とのインタビューに、ヘンリー王子は自身の回顧録「スペア」について語った中でドラッグの使用について答えた。
ヘンリー王子は、英米のテレビでメーガン・マークル(41)をめぐってウィリアム王子(41)と口論になり暴力を振るわれたことや、ヘンリー王子が産まれた時、チャールズ現国王がダイアナ元妃に「(王位)継承者(ウィリアム王子)とスペア(予備)を産んでくれた」と発言したことを後に聞かされたことや、アフガニスタン戦争に従軍してタリバン兵25人を殺害したことなどを明かし波紋を広げている。これらは回顧録に書かれていることで、チャールズ皇太子(現国王)の発言とされる「スペア」(ウィリアム王子の予備)を回顧録のタイトルにしたことがヘンリー王子の英王室に対する思いを象徴しているようだ。
「60ミニッツ」でクーパーは、ヘンリー王子が過去に酒、コカイン、マリファナなどの薬物乱用を認めていることについて質問。ヘンリー王子は、母親の死への反動でドラッグに走ったことを明かした。

「母親の不幸にイギリスのマスコミが加担していることは、子供心に明らかでしたし、自分の中にたくさんの怒りがありましたが誰にも言いませんでした。しかし、私は大酒に頼った。気持ちを紛らわせたかったし、自分が考えていることから目をそらしたかったんだ。そして、ドラッグにも頼った」と語った。
また、アマゾン北西部で伝統的に用いられている幻覚剤のアヤワスカや、キノコに含まれている幻覚性麻薬サイロシビン、マッシュルームといったサイケデリックな薬物が自分を助けてくれたと感じていたという。
「レクレーションとしてやることは決して勧めませんが、大きな喪失感や悲しみ、トラウマに苦しんでいる人が適切な人と一緒に行うと、これらのものが薬として機能する方法がある。私の場合は、喪失の悲惨さのフロントガラスをクリアにしてくれました。私の頭の中にあった、母が恋しいということを証明するために泣く必要があるという考えを一掃してくれました。本当は、母は私が幸せになることだけを望んでいたのです」。
1997年のダイアナ元妃の悲劇的な死亡事故後、ヘンリー王子とウィリアム王子が、母親が亡くなったことについて「似たような考え」を共有していた」という。「もしかしたら、彼女が(生きていて)私たちを呼び寄せて、私たちが彼女のところに行くという計画の一部なのかもしれない。」と考えていて、「この信念を何年も持ち続けた」という。しかし、20歳の時、彼は母の死の「証拠」を得るために、事故の警察の報告書を見せてくれるように頼んだという。 「母が車に乗っていた証拠。怪我をした証拠。そして、彼女をトンネルまで追いかけたパパラッチたちが、車の後部座席で半死半生になっている彼女の写真を撮っていたという証拠です」と語った。
さらに、ヘンリー王子はチャールズ皇太子(現国王)と不倫関係になり、ダイアナ元妃と皇太子が離婚した後に皇太子と再婚したカミラ夫人(現王妃)について、メディアから「悪役」と描かれ、自身のイメージ回復のためにメディアと深い関係を構築して「危険」な存在になっていったと指摘した。
クーパーが「1997年にダイアナ妃が亡くなったとき、本当は何が起こったのか、すべての答えを得たと感じているか」と尋ねると、ヘンリー王子は「本当のことを言うと、ノーだ。そう思っていない。そして、私の兄もそう思っていないと思う。世界中がそうだとも思っていないよ」と語った。
ダイアナ元妃と当時の恋人ドディ・アルファイド氏が乗ったベンツがパパラッチとのカーチェイスの末にパリのトンネルで中央分離帯に激突してダイアナ元妃、アルファイド氏と運転手が死亡し、同乗していたボディガードだけが一命をとりとめた悲劇的な事故。最愛の母が父親のカミラ夫人との不倫の果てに英王室から追い出されるようにして離婚し、さらにはパリの交通事故により一瞬で母を失った悪夢と喪失感がヘンリー王子の一連のテレビでの発言や回顧録に大きな影を落としていることは否定できないようだ。