ローリング・ストーンズのドラマー、チャーリー・ワッツさん死去 80歳

(2021年8月25日5:45)

ローリング・ストーンズのドラマー、チャーリー・ワッツさん死去 80歳
チャーリー・ワッツさん(インスタグラムから)

英ロックバンド、ザ・ローリング・ストーンズのドラマー、チャーリー・ワッツさんが24日(現地時間)、死去した。80歳だった。ワッツさんの広報が発表した。ワッツさんはストーンズのデビュー当初から現在までドラマーを務めていた。

ローリング・ストーンズのドラマー、チャーリー・ワッツさん死去 80歳
左からチャーリー・ワッツさん、ロニー・ウッド、ビル・ワイマン、キース・リチャード、ミック・ジャガー(インスタグラムから)

米紙ニューヨーク・ポスト(電子版)によると、ワッツさんは8月初旬に手術後の療養のために9月に再開するツアーに参加しないことを発表していた。手術の内容などは発表されていなかった。キース・リチャーズのグループ「X-Pensive Winos」のドラマー、スティーブ・ジョーダンが代役を務める。

ストーンズの広報は24日午後(現地時間)、「われわれの最愛のチャーリー・ワッツの死去を発表することは非常に悲しいことです。彼は本日未明、ロンドンの病院で家族に囲まれて静かに息を引き取りました」と報告した。ワッツさんは、妻のシャーリーさん(82)と娘のセラフィーナさん(53)と一緒に暮らしていた。
「チャーリーは大切な夫であり、父であり、祖父であり、またザ・ローリング・ストーンズのメンバーとして、同世代で最も偉大なドラマーの一人でもありました」とした上で「この困難な時期に、彼の家族、バンドメンバー、親しい友人のプライバシーを尊重することをお願いします」と要請した。

「世界で最も偉大なロックンロール・バンド」に50年以上在籍したワッツは、史上最も偉大なドラマーの一人として広く認められており、ギタリストのキース・リチャーズ(77)は、「みんなミックとキースがローリング・ストーンズだと思っている。もし、チャーリーがドラムをやっていなかったら全く違っていた。チャーリー・ワッツこそがストーンズであることがわかるだろう」と1979年に語っていた。

ロックンロールの殿堂入りを果たしたワッツは、1941年6月2日、ロンドンの労働者階級の家庭に生まれた。ウェンブリーで育ったワッツさんは、10代で音楽を始め、思春期に家の中でドラムを叩いていたという。1961年に広告業界に就職したが、夜はロンドン中のブルース・クラブで過ごし、そこですぐに後のバンドメイトと出会ったという。

ミックは、キース、ギタリストのブライアン・ジョーンズ(1969年、27歳で死去)、ベーシストのビル・ワイマン、ピアニストのイアン・スチュワートとともに新グループ「ザ・ローリン・ストーンズ」を結成しドラマーとしてワッツさんをスカウトした。1963年、チャック・ベリーの「Come On」のカバーである最初のシングルをリリース。その2年後に「(I Can't Get No) Satisfaction」で全米ポップチャート1位を獲得した。

ワッツさんは、ストーンズのキャリアが停滞し、メンバーの関心が分散する80年代半ばまで、ヘロインを含むアルコールと薬物の乱用に悩まされていたという。ストーンズの活動が停滞した80年代半ばまで、自身のジャズバンドでレコーディングやツアーを行い、1986年にはコロンビアからレコードをリリースしている。90年代から2000年代初頭にかけて、キースとミックが和解するまでジャズ界で活動を続けていた。
2004年に喉のがんを患ったが回復しその後2年間、5億5800万ドル(約600億円)を超える当時の史上最高額の収益を記録した「ビガー・バン・ツアー」ツアーに参加するなどストーンズのドラマーとして活躍した。