「三島由紀夫VS東大全共闘 50年目の真実」 三島由紀夫の命懸けの天皇論と東大全共闘との”闘論”

(2020年3月21日)

 「三島由紀夫VS東大全共闘 50年目の真実」 三島由紀夫の命がけの天皇論と東大全共闘を圧倒する存在感
「三島由紀夫VS東大全共闘 50年目の真実」(TOHOシネマズ新宿)

学生運動が激化していた1969年5月13日、東大教養学部(駒場キャンパス)の900番教室で行われた東大全共闘と盾の会を設立して活動していた作家・三島由紀夫の”伝説の討論会“を、元東大全共闘や元楯の会メンバー、瀬戸内寂聴など13人が当時を振り返って語るインタビュー映像をまじえて再現したドキュメント映画。監督は「裁判長!ここは懲役4年でどうですか」(2010年)などの豊島圭介で、東出昌大がナビゲーターを担当した。

■ストーリー

東大駒場キャンパスの900番教室は1000人を超す学生であふれ、「三島を論破して立ち往生させ、舞台の上で切腹させる」と盛り上がっていたという。三島は警察が申し出た警護を断り、単身東大に乗り込んで、東大全共闘の芥正彦氏、木村修氏らを相手に激論を闘わせて持論を展開する。

■見どころ

文化論から哲学や、サルトル論、天皇論、革命論、エロティシズム論、解放区論など、知的で刺激的な理論や思想が縦横無尽に飛び交う討論会での”激論”は圧巻。幼い娘を肩車にして三島と論争する東大全共闘の論客で劇作家の芥正彦氏の存在感も圧倒的だ。また当時の関係者が50年前を振り返って“伝説の討論会”や三島について語るインタビューも貴重だ。
その一方で、今見ると、三島が天皇論や学生運動に対する考えを命懸けで語っていると感じられるのに対して、東大全共闘側は「解放区」をめぐる論争などで抽象的な解釈や文学的な表現が多く、学生運動や東大全共闘が目指していたものや、三島の日本文化の要としての天皇論(「文化防衛論」)を「論破」するだけの「革命」についての具体的で明確な理論が語られていないようにも感じられた。
討論会が行われたのは633人の逮捕者を出した東大安田講堂の攻防戦と陥落(1969年1月18、19日)から4か月後で、三島が森田必勝ら楯の会のメンバー4人と自衛隊市谷駐屯地に乗り込み総監を人質にとって立てこもり、バルコニーで演説して「憲法改正のための自衛隊の決起」を呼びかけた後に割腹自殺した衝撃的な事件(1970年11月25日)の1年半前だった。

あるいは東大全共闘は、東大闘争の象徴になった安田講堂占拠闘争で敗北を喫していて、挫折ムードがあったのかもしれない。一方、三島は楯の会を組織して1年半後の自決という明確な結末に向かって突き進んでいた。討論会では1年半後の事件を予言するように「非合法活動」「自決」という言葉も語られていた。

さらに三島は「たった一言、天皇と全共闘の学生諸君が言ってくれたら共闘します」などといって学生を笑わせたり、学生たちの意見に真剣に耳を傾け、一つ一つ丁寧に答え、「私は諸君の熱情を信じます。これだけは信じます」と共感を示し、討論会を楽しんでいるような余裕すら感じさせた。三島が新潮社のカメラマンを連れてきて写真を撮らせていたことも明かされていたが、三島にとって討論会は決起・自決の前哨戦の一幕として後世に残そうとしたものだったのかもしれない。
(2020年3月20日公開)