-
映画
シン・チェリン監督「PEAK END」予告編&映画監督・各界識者コメント解禁
(2026年5月23日9:45)

シン・チェリン監督「PEAK END」(6月13日公開)の予告編と映画界及び各界識者のコメントが解禁となった。
今回、到着した予告編では、ソウルから京都にきたリン、沖縄から京都にきたそら が大学で出会い、共に映画を作る過程を垣間見ることができる。お互いをカメラに 撮りあい、食べかけのジャムパンを風船につけて空に飛ばす。映画を作っているの か、遊んでいるのか分からなくなるような二人の紡ぐ親密な時間。劇中ではドキュメ ンタリーなのかフィクションなのかも判然としない様々なフッテージが用いられ、観客 を未知の映画体験に誘うことになる。
後半では、そらが育った沖縄の風景が映し出され、そらが通ったという普天間基地 のすぐ隣にある小学校をリンたちに紹介している。京都から沖縄を移動するロードムービーでもある本作。一体、この映画がどのような結末を迎えるのか、二人のこれからは? 想像の膨らむ結末に注目だ。
本作について、映画監督の犬童一心は、「若さは、映画の宝石、だが、例え作り手が若くとも誰もが写しとれない。PEAK END は若さが尻尾まで詰まったたい焼きみたいだ。甘さは幼さ、稚拙だが、それに惹かれ、齧ると胸が詰まる」と感想を語り、 映像学者の青山太郎は「セルフドキュメンタリーのような装いに見えて、その視線は主人公たちのものだけではない。非人称 的でさえある複数の異なるまなざしが接ぎ合わさり、交錯し、巧妙にこの映画を織り上げている」と評した。
映画監督の岨手由貴子は、「「若者のリアル」系譜で陥りがちな露悪性などヒョイと飛び越える、どこまでも正直で胸のすくようなさえずりに感激しました」、シンガーソングライターの mmm は「胸いっぱいに良い映画」、映画監督・映画評論家の筒井武文は、「映画の不思 議さを再発見させる(他に類例のない)得難い作品、いや瞬間の集積だ」とそれぞれの感動を言葉に表してくれた。
その他、 布施琳太郎(美術家)、金子由里奈(映画監督)、北小路隆志(映画評論家)、秦岳志(映画編集者、プロデューサ ー)、月永理絵(ライター、編集者)、荒木啓子(PFF ディレクター)らが本作にコメントを寄せている。
本作は、監督のシン・チェリンが京都芸術大学映画学科の卒業制作作品として撮影した長編映画だ。スタッフ5名(うち2名は 主演を兼ねている)のミニマムな体制で試行錯誤を繰り返し、ドキュメンタリー要素も取り入れつつ、イノセンスな衝動に溢れた唯 一無二の作品を作り上げた。完成した後も評判を呼び、大阪アジアン映画祭、ぴあフィルムフェスティバルなどで上映された本作が、 いよいよ劇場公開となる。





■コメント(順不同・敬称略)
犬童一心(映画監督)
若さは、映画の宝石、だが、例え作り手が若くとも誰もが写しとれない。PEAK END は若さが尻尾まで 詰まったたい焼きみたいだ。甘さは幼さ、稚拙だが、それに惹かれ、齧ると胸が詰まる。
若さは諦めが悪い、心から惹かれる人が現れ、その謎にカメラで向き合えば更なる二人の高みに至れると 思い突っ走る。クールに振る舞ったり諦観を鎧にすることなく、正直な言葉、無防備な態度を風にたなび かせている。そのイノセンス一生分が 120 分間溢れ続け爽快で、映画は切実なもので、その力が自分も 世界も変えう.る可能性があると信じカメラを握りしめている。若い。なんと素晴らしい。羨ましい。
列車の車窓、通り過ぎていく風景、スピード、終わらないマジな言葉、二人の声の響き、進行音。なん と、それは人生を写しとることができていて、その先のシンチェリンの写しとるものへの期待が高まって いく。
岨手由貴子(映画監督『あのこは貴族』)
胸いっぱいの清々しさで鑑賞しました。
かつて 20 代だった自分が見ていたような、でも確実にはじめての角度から覗く世界。
「若者のリアル」系譜で陥りがちな露悪性などヒョイと飛び越える、どこまでも正直で胸のすくようなさ えずりに感激しました。
いろんな事に疲れてしまった(?)私にとって、てらいなく世界への愛を紡ぐことができる彼女たちはと ても眩しくて、希望でしかありません。
布施琳太郎(美術家)
朝日に照らされた窓をあけたら冷たい風が吹き込むみたいに自然に呼吸して生きていたい。だけど、それ が難しい時代になってしまった。息が詰まる。でもこの映画を見ているときは違った。友達同士だからこ その、ぶっきらぼうな振る舞い。二人のあいだを通り抜ける風、あるいは風呂上がりの散歩で背中をつた う汗みたいに、個人的なことが自分だけのものであるために私たちはカメラを回すことができるのかもし れない
金子由里奈(映画監督『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』)
カメラを回すことでしか触れられない距離で、遊びと地続きの尊敬が、ふたりを照らしあう。
1000 年たって、この映画を覚えている人が誰もいなくなっても、まなざしを送り合った本当を時間は覚 えている。
青山太郎(映像学者)
セルフドキュメンタリーのような装いに見えて、その視線は主人公たちのものだけではない。
非人称的でさえある複数の異なるまなざしが接ぎ合わさり、交錯し、巧妙にこの映画を織り上げている。 そのカメラワークのように、かけがえのない同志の存在は互いの青春に命を吹き込んでいるが、同時に、 彼女たちの親密な関係はこの世界の未知を求め続け、開かれていく。カメラの輪郭が消えかかるラストシ ーンはこのうえなく幻惑的で美しい。
月永理絵(ライター、編集者)
ふたりの女の子たちが過ごす小さな世界。
と思っていると、フレームの外からいろんなものたちが飛び込んできた。
今日食べたもの、大好きな猫のこと、とりとめのない会話から、彼女たちが生きてきた場所、この環境を 取り巻く歴史や政治が溢れ出し、ぐぐっと世界が広がっていく。
これは、今を生きるひとりの映画作家による意見表明だ。
この途方もなく大きな世界のなかで生きる私たちの小さな世界。 カメラはそれを映すのだと。
北小路隆志(映画評論家)
「ガ—リーな映画を撮ろうとしているの?」と尋ねると、2 人はやや不機嫌そうな顔をした気がする。 彼女たちの知るいくつかの小さな事柄や冒険は、果たして無事、映画を形成することになるのか?
最後の最後まで答えは風船に乗って宙吊りのまま、どこに着地するかわからない。そのスリリングさを体 感してほしい
mmm(シンガーソングライター)
フレッシュな存在が、大好きなともだちとふたり、世界を冒険している。眩しくて美しく、妬んでいる自 分に気づいてしまう。ピークはいつだって、ただやってみたいと目的のない道をすすむ人にさざ波のよう に訪れるんだろう。ふたりの冒険のドキュメンタリーに、時折、あちら側か映画の神さまか、なにかが見 ているようなシーンが挟まれる。こちらが開きさえすればいつだって受け取れる運からの目線。胸いっぱ いに良い映画。
筒井武文(映画監督・映画評論家)
見てから二週間以上経っているのに、思い出す度に幸福感が立ち昇ってくる。
あのどこに漂着したか分からない、ふたつの黄色い風船のように。
あらゆる出来事が現在進行形で、結末を刻印することがない。
いろいろなジャンルに挑んでいるのに、その枠がどんどん消えていく。
被写体二人とスタッフ三人による、最小で最大の冒険。それが『PEAK END』。
これが映画だとしたら、映画の不思議さを再発見させる(他に類例のない)得難い作品、いや瞬間の集積だ。
荒木啓子(PFF ディレクター)
話しても話しても話しても話し足りない。
わたしのこと、あなたのこと、わたしたちのこと。ひととひとが出会う、その連鎖が、今を、未来をつく ることが映画になった。瞬間瞬間の記録が、映画をつくる。
ああそうだ、そうだった。
ありがとう。嬉しい。
どこまでも行けるよ。
秦岳志(映画編集者、プロデューサー)
間違って地球に降り立ってしまったかのような、全てにおいて規格外の二人。映画学科で奇跡的に出会 い、お互い惹かれ合う中から生み出されたこの作品は、現在の京都から未来へ、沖縄から世界へ、そして いつか必ず宇宙人に届くことを想定して作られた、地球発の幸せのメッセージ。私もたくさんのお裾分け をいただきました。
【クレジット】
タイトル:『PEAK END』
2025 年|120 分|5.1ch|DCP
監督:シン・チェリン
出演:シン・チェリン、伊丹そら 撮影:清水歩夢、西尾千裕
録音:キム・スビン 編集:西尾千裕 製作:Team PEAK END 配給:boid/VOICE OF GHOST 宣伝:ブライトホース・フィルム
公式 HP|https://peakend.org
©PEAK END
6 月 13 日(土)よりシアター・イメージフォーラムほかにてロードショー!以降全国順次