仏女優ナタリー・バイさん死去 77歳 マクロン仏大統領追悼「私たちはナタリー・バイを心から愛していました」

(2026年4月19日12:15)

仏女優ナタリー・バイさん死去 77歳 マクロン仏大統領追悼「私たちはナタリー・バイを心から愛していました」
 
ナタリー・バイさん(Instagram/@nathalie.baye.officiel)

「映画に愛をこめて アメリカの夜」などのフランス映画や「ダウントン・アビー/新たなる時代」、「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」などで知られるフランスの女優ナタリー・バイさんが17日(現地時間)、死去した。マクロン仏大統領がXで「私たちはナタリー・バイを心から愛していました」と追悼した。

米PageSixによると、バイさんはレビー小体型認知症と診断されたのちに、パリの自宅で亡くなった。家族がフランス通信社(AFP)に明らかにした。レビー小体型認知症は最も一般的な認知症の一つだという。

バイさんはフランスのノルマンディー地方に生まれ、パリのフランス国立高等演劇学校の演劇科を2等賞で卒業。1972年に映画デビュー。「映画に愛をこめて アメリカの夜」(73)などのフランソワ・トリフォー監督の作品や、「勝手に逃げろ/人生」(79)などのジャン=リュック・ゴダール監督の作品に数多く出演。「愛しきは、女/ラ・バランス」(83)の主演女優賞など、セザール賞を4回受賞。「ポルノグラフィックな関係」(99)でヴェネチア国際映画祭女優賞を受賞した。
また、レオナルド・ディカプリオの母親役を演じた「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」(02)や、グザヴィエ・ドラン監督の「わたしはロランス」(12)、近年ではフランスの高級ブランド「ディオール」の高級仕立服のアトリエを舞台に、引退を目前に控えた制作現場の責任者を演じた「オートクチュール」(21)や、「ダウントン・アビー/新たなる時代へ」(22)で先代モンミライユ侯爵夫人役で出演するなど50年以上にわたって80本以上の映画に出演した。

バイさんは「たくさんの映画に出演し、才能ある監督たちと仕事をする機会に恵まれたのは幸運でした。でも、映画というものに出会い、映画を愛するようになったのは、フランソワ・トリュフォー監督の『映画に愛をこめて アメリカの夜』という最初の映画のおかげです」とコメントしていた。(IMDbより)。また「私は自分が映画館で観たいと思う作品に出演するように心がけています。私の出発点は役柄ではなく、作品全体です。映画は冒険であり、脚本であり、監督であり、キャスティングであり、様々な要素から成り立っています」(同)と語っていた。

私生活では俳優のフィリップ・レオタールと10年交際し、ロック歌手のジョニー・アリでディと4年間交際し女優のローラ・スメットをもうけている。その後は俳優のジャ=イヴ・ベルトルートと交際していた。

■フランスのマクロン大統領が追悼「私たちはナタリー・バイを心から愛していました」

フランスのマクロン大統領はXで「私たちはナタリー・バイを心から愛していました」と追悼した。
そして「彼女の声、笑顔、そして優雅さは、フランソワ・トリュフォーからトニー・マーシャルまで、過去数十年にわたりフランス映画界に欠かせない存在でした。彼女は、私たちが愛し、夢を抱き、共に成長した女優でした」 と偲び、「私たちが愛し、夢を抱き、共に成長した女優。彼女のご家族と愛する人々のことを思っています」と締めくくった。

■イザベル・アジャーニ「あなたの演技のエネルギーに本当に感動しました」

1974年の『平手打ち』(原題:La gifle)でバイさんと共演したイザベル・アジャーニはインスタグラムに同作の共演場面の写真を投稿して「クロード・ピノトー監督の『La gifle』の撮影現場で一度だけ共演した時、あなたの演技のエネルギーに本当に感動しました!今でも感謝しています。あなたの自然な演技に触発されて、私も自然体でいようと思ったからです」と感謝し「あなたがこの映画で私の共演者になると知った時、まだ18歳だった私は飛び上がるほど喜びました。当時、私はコメディ・フランセーズで最年少でしたが、舞台での存在感で私を本当に驚かせたのはあなたでした」と当時を振り返った。